病気と闘っていたMIちゃんが亡くなりました。
15日の金曜日の朝にFちゃんから連絡をもらいました。
16日は仕事だったので、告別式にはいけなかったため、15日の夜のお通夜に行きました。
時間調整のために、1時間早くかえるシフトを組んでいましたが、期日がせまってきている仕事があるため、残業しようと思っていましたが、最初の予定通り17時で帰りました。
妊婦のため、参列できないというMA1ちゃんから香典と前にみんなで集まったときに撮った写真を預かりました。
斎場で久しぶりに、KUちゃん、TOちゃn、KYOちゃんと会いました。「ひさしぶりに会えたのはうれしいけれど、こんな形で集まるなんて・・・・」とみんな同じ感想でした。
MIちゃんとMIちゃんのお姉さん二人はほんとそっくりで、MIちゃんのお通夜なのに、MIちゃんがそこにいるような錯覚に陥ってしまいました。
人は、生きているときは修行で、それを達成して次の世界に行くということをうっすら理解しているので、MIちゃんは、みんなよりも早く卒業して次の世界に行ったんだ、だから、これは悲しいことなんかじゃないんだと、思っているのに、涙が次々出てくる自分にどうしてなんだろうと思いながらお坊さんのお経を聞いていました。
ご焼香をして、最後に棺の中のMIちゃんの顔を見せてもらいました。私たちが行くとお母さんが、「ほんとにありがとう きてくれてありがとう」と声を出して泣かれました。少し離れた場所にいた お姉さんがさっとかけよってくださったので、MA1ちゃんから預かった写真を渡しました。
棺の中のMIちゃんは、前に会ったときと同じぐらい痩せていたけれど、とても穏やかな表情でした。
外にでたけれど、帰るに帰れなくて、立ち話をしていた、私たちをお姉さんが上がってお茶でも飲んでいってと、斎場の裏?の親族のかたの控え室のようなところに上げてくださって、お姉さんとお話をしました。
やっぱり、お姉さんとMIちゃんはそっくりで、ほんとに不思議な気持ちでした。
KUちゃんが、「MIちゃんは、学校に行ってるときも、絶対弱音を吐かない人だったから、病気と闘っているときもそんなふうに頑張ったんだろうね」といっていたとおり、お姉さんからも「ほんとに頑張っていて、お医者さんからもそういってもらえた」と聞きました。治療中も痛いとかしんどいという言葉を発しなかったらしい。そんなMIちゃんも亡くなる前の晩に初めて「体中が痛くて」とお姉さんに言ったらしい。また、迷惑をかけるからと自分からは、病院にきてほしいといったことがなかったのに、初めて「明日 病院にきてもらえますか?」と言ったそうです。
「治療が始まってから、声を出して笑ったことがなかったMIだけど、みんなが集まってくれたあの日だけは、声を出して笑っていたの。さっきもらった写真をみて、やっぱりほんとにいい笑顔で、みんなの存在がどんなにあの子の力になっていたか・・・・・」
「やせ細った自分を見て、みんなの態度がどうなっちゃうかすごく心配していたんだけれど、みんなほんとにいつもと変わらずにいてくれて、ほんとによかった これでまた頑張れると言っていたわ」
「ありがとう。ほんとにMIと仲良くしてくれて、MIにいい時間をくれてありがとう」
お姉さんの言葉は、全部こちらもそのまま返すべき言葉でした。
東京からMA2ちゃんもかけつけるけれど、お通夜でなく、告別式に参加をしたため今回は会えなかった。
MA2ちゃんに、「色々考えちゃうんだ。いい意味でも悪い意味でも 自分はこれでいいのかなあとか?」とメールをすると
「私もすごく色々考えた… とりあえずは毎日を大切に過ごす、後悔しないように自分の為にも周りの大好きな人達の為にも…」
と返してくれた。
ほんとに、そうだと思う。今 目に見えてるものも、そして私自身にもいつ修行の終わりを告げられる日がくるかはわからないし、永遠に続くものなんて何もないわけだし。でも大事にする、大切にするにはどうしたらいいんだろう。どうすることが大切にすることなんだろう。
まだ私は、どうすることが大切にすることなのかがわからないでいます。
そして、またまたこのことを書いていると、涙が勝手に出てきてしまっています。悲しいわけではないのに・・・・。
MIちゃんありがとう。MIちゃんのお姉さんからいただいたお礼の言葉は、私もそのままMIちゃんに返さないといけない言葉です。
ほんとにありがとうね